人気ブログランキング | 話題のタグを見る

高田米治郎が”日々”の出来事や読んだ本について感想文を書きます。


by l-cedar
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

冬のアゼリア

冬のアゼリア 大正十年・裕仁皇太子拉致暗殺計画 
西木 正明
著 文春文庫」を読んだ。

米治郎の推薦度 ☆☆

2005年8月10日第1刷版を当時読んだモノの復習だ。
ここのところ、復習は第2次世界大戦前後のモノを
選んで復習している。

裕仁皇太子(昭和天皇)が、1921年(大正10年)
3月3日から9月3日まで、ヨーロッパを歴訪されたが、
その時、立ち寄った香港で暗殺計画があったとされる
西木正明さんお得意の裏歴史モノである。

物語の始まる冒頭に、昭和45年(1970年)の9月16日、
那須御用邸で記者団の質問に答えて
「ええ、印象に残る思い出はいろいろありますが、
ヨーロッパに旅したことです。若い時ヨーロッパに
旅したことが、もっとも印象に残っています」
とのお言葉が載せられている。

そして、物語は始まる。
排日運動は、中国、朝鮮で始まっていた。
1919年、朝鮮の排日運動過激派組織の
金元鳳は、パリへ暗殺者を派遣し、
第1次世界大戦終了後のパリ講和会議に
出席する西園寺公望侯爵の暗殺を企てるが、
失敗に終わる。
朝鮮の密陽警察署警部補の楠田刑事は、
朝鮮での排日運動を取り締まっていた。
物語は、この二人を微妙に絡ませながら、
間に、密陽の「アリラン亭」という食堂の
女将の金淑秀を入れて、進んでいく。

明治維新を成功させ、近代国家への道を進む
日本、ヨーロッパ諸国やアメリカに並ぶ一流国家へ
向かう帝国主義的な日本の被害者である
朝鮮の人たち、彼らは決して一枚岩ではなかった。
戦後の朝鮮半島が分裂したことでもわかるように
民主主義に走る者たちと、コミンテルン、共産主義に走る者たち、
そして、その間で、より過激に光復を目指す者たち。

裕仁皇太子がなぜ、ヨーロッパを歴訪することに
なったかの経緯も当時の重鎮たちの話を
重ねながら興味深く西木さんの筆致は冴える。
そして、裕仁皇太子は、ヨーロッパに旅立ち、
香港に立ち寄る。果たして、暗殺計画は・・・。
by l-cedar | 2011-09-22 08:00 | 感想文【復習】