高田米治郎が”日々”の出来事や読んだ本について感想文を書きます。


by l-cedar
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孤高のメス

米治郎の推薦度 ☆☆☆ 

「孤高のメス 1巻~6巻 大鐘稔彦著 幻冬舎文庫」を読んだ。
アウトローの外科医当麻鉄彦の物語である。
北里柴三郎の故郷である熊本県阿蘇郡小国町で育った彼は、
医師を目指していた兄を亡くし、医師を目指し、西日本大学
(京都大学と思われる)の医学部を卒業して、消化器外科医となる。
臨床より研究が重んじられる西日本大学に嫌気がさした彼は、
関東医科大学の6年の”修練士制度”で”修練士”となり、
臨床の研鑽と経験を積み、その技術力で修練士のエリートとして、
関東医科大学病院に残ることを教授から慰留されるが、
地方で、それも医療過疎地で腕を振るうことこそ、医者の道だと
武者修行に出る。”癌研”、そして、アメリカピッツバーグの
スターツル教授の門下となり、臓器移植を学んでいく。
その後帰国して、大学生の頃、世話になった琵琶湖のほとりの
個人病院の院長を訪ね、そこに勤め始める。
大量吐血した”エホバの証人”の少女が運び込まれる。
信条により、両親は輸血を拒否し、無輸血手術が始まる。

と、まあ、1巻の出だしはこんなところだが、読み始めてすぐに
専門用語の多さに、読みづらさを感じる。何しろ作者は、
この主人公のモデルにもなっているような現役の医師である。
しかし、読み進むうちに、それも気にならなくなる。
(そういうところは飛ばせばよいだけ・・・)
”白い巨塔”と”ブラックジャック”を合わせたようで、
大学病院の内幕もたくさん出てくるし、すごい手術を
こなしていくところは、ブラックジャックのようだ。
そして、日本初の肝臓移植手術に臨んでいく。

人間的にもすばらしい先生であることも描かれていて
何かあったときは、こんな医者にめぐり会いたい。
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by l-cedar | 2007-06-30 09:19 | 感想文

へんな・・その1

”へんな・・その1”である。”その2”があるかどうかわからない。

米治郎の家のそばに、前から気になっていた看板がある。
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通り抜けができないのに、対向車は来るらしい。
しかも、両方とも目白警察署と豊島区が出している。
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by l-cedar | 2007-06-24 12:48 | 日々

携帯電話

携帯電話を新しくした。
米治郎のうちは、アキラだけauで、米治郎、奥さん、カオルが
ボーダフォンというか、ソフトバンクだ。
そもそも、米治郎は、今のauのIDOだったが、アキラが
初めて携帯を買ったときに、J-PHONEにして、
それに奥さんとカオルも追従したので、家族割引が
あるというので、J-PHONEにした。
それ以来、ずっと、電話会社は変えていないが、
J-PHONEからボーダフォン、そして、ソフトバンクへと変わった。
家族をJ-PHONEにに引き込んだ張本人のアキラは、
家族割引にしたにもかかわらず、当時、学割があるとかでauに変えた。

米治郎は、3年位前に変えたアンテナ付きで、
メールくらいしかできない機種だった。
今時、ワンセグじゃなくて、アンテナ付などめずらしいらしい。

奥さんと、カオルがソフトバンクの最新機種に変えてきた。
それで、米治郎もうらやましくなり、変えた。
”910SH”という機種のブラックにした。
5メガピクセルのデジカメ付だ。
そもそも、自分用のデジカメが欲しかった。
しかし、持ち歩くのも面倒だった。
携帯とデジカメが一緒であることが理想だったので、
まさにうってつけに機種だ。しかも、ワンセグはいらない。
電車の中で、テレビを見たいとは思わない。
今後、ここで、撮った写真を披露したい。
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by l-cedar | 2007-06-24 12:33 | 日々

まままま舞鶴

今朝は6時の、ノーベル賞をもらった田中さんが好きな500系の新幹線に乗って、京都に8時15分に着き、嵯峨野線に乗って、9時に亀岡に着いた。一仕事して、早めの昼飯を素人料理の店(?)で食べて、舞鶴に向かった。今は、舞鶴のホテルのレストランで一人淋しく、一杯やっている。
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by l-cedar | 2007-06-21 19:06 | 日々

次世代新幹線N700系-2

このブログの次世代新幹線N700系で、
次世代新幹線N700系の試乗会の抽選がある話をした。
応募したことを、全く、忘れていた。

先日、関西出張の帰りの京都駅のホームの待合室、
米治郎の乗るのぞみの前の電車が、ホームに入ってきた。
何気なく見ていると、すべての窓に、ブラインドがかかっている。
もう、こんな夕方で、曇りなのに何でブラインドを下ろしているのだろう。
行き先表示を見ると「試運転」だった。どうやら、新型N700系の試運転らしい。

「あっ、そういえば、試乗会の抽選、どうなったんだろう?」

帰宅して、JR東海のサイトにアクセスして調べると、
「今に時点で、当選のメールが来ていない方は、”はずれ”です。」
「・・・・・。」

「フン、7月になれば、すぐに乗れるさ」
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by l-cedar | 2007-06-11 12:44 | 日々

菊じい-22

今日、米治郎は、2週間ぶりに、菊じいと隅ばあさんに会った。
奥さんはもちろん毎日会っていたが、米治郎はここのところ、
日曜も忙しくて、会っていなかった。

日曜の夕方、カオルは仕事だったが、アキラはいたので、
3人で行った。すると、菊じいが、「餃子が食べたい」と言い出した。
いつも行く、”彩園”は日曜休みだ。
そこで、5人で高田馬場の中華料理屋”石庫門”へ行った。
菊じいは、どうしても餃子が食べたかった。
結局、もちろん他の物も頼んだが、5人で、4皿の餃子を頼んだ。
菊じいは、1皿半くらい食べた。
「うん、これもうまいけど、彩園のほうがうまいな」
これは、米治郎もみんな、同感だった。

彩園の3件隣のラーメン屋がつぶれて、
今度は、”桃源郷”という中華料理屋ができるらしい。
でも、まだ開店していないが、見るからに美味しくなさそうだ。
名前からして、怪しいし、美味しそうなイメージは沸かない。

菊じいは、もうすでにチェック済みで、開店したら行きそうだ。

画面左のワインレッドがかった赤いテントが”彩園”、
右のどぎついピンクがかった赤いテントが”桃源郷”、
線路は”都電荒川線”、通りは”明治通り”
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by l-cedar | 2007-06-10 21:02 | 菊じい

ドカさん-1

ドカさんの話だ。
前回の壮行会で登場したドカさんの話だ。
ドカさんは、学生時代からでかくて目立った。
学年はひとつ上なだけだったが、当時からおじさんだった。

学生時代の一番有名な話だ。
その当時、過激派の指名手配の
写真が警察や交番の前に張られていた。
その中の一人に、ドカさんはそっくりだった。
その指名手配の犯人の写真は、どう贔屓目に見ても、ドカさんだった。
もちろん、それはドカさんではないが、ドカさんだった。
だから、警察官から職務質問されることは、2度や3度ではなかった。
5度、6度となると、捕まえた警察官が、本庁に無線で連絡を取ると、
「また、あんたか」といわれるくらいになったらしい。

昔から、みんなドカさんと呼んでいた。
だから、米治郎は、本名は知らなかった。
サトウさんも”ドカ”と呼んでいる。
壮行会の前に会った時、その時も”下半身下ネタ”、大爆発だった。
そのときにはじめて本名を知った。

そんなバイススプレンジトだ。
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by l-cedar | 2007-06-10 20:32 | 日々

壮行会

奇遇な人のサトウタロウさんが大阪へ転勤になり、
その同級生が壮行会を開くというので、サトウさんから「お前もくるか」
ということで行ってきた。サトウさんも含めて総勢10人集まった。
サトウさんは、学生時代、アメリカンフットボールをやっていた。

そのサトウさんと同じクラブだった、
酔うと下半身の話ばかりの禿親父の”ドカ”さん、
すっかり禿げ上がっていて、
若い頃の顔を思い出せなかった”名クォーターバック”さん、
ドカさん曰く今は、BMWオートバイ使い、昔は”怒涛のバックタックル”さん、
そして、前世の米治郎の弟”サトウ”さん、の4人と、
お酒の飲めないすし屋のビンコーラが最高の”アイドルなんとかキャプテン”、
米治郎のクラブの先輩で、昔”非鉄金属のホニャララ、
今は、引退して悠々自適のパチプロのホニャララさん、
電車とかで会っても絶対にわからないヨット部だったという何とかさん、
釣りにはまっていて、待ち受け画面が釣った鯛の柔道部だったみっさん、
そして、いつも名幹事の食通のマッチャンさん、米治郎の10人だ。
皆、昔、米治郎が所属していたアイスホッケーの応援に来てくれた面々らしい。
米治郎のことを知っているようだったが、米治郎は良くわからない人もいた。

場所は、マッチャンさんが贔屓にしている根津の蕎麦屋、「よし房 凛」。
マッチャンさんは、さすがにいつも良い店を用意する。
蕎麦屋だから、最後にはそばが出てくるが、それまでの
つまみが最高だった。特に稚鮎のてんぷらは、めちゃくちゃうまかった。
最後の蕎麦もすごくうまかった。

そんな中で、男ばかりの酒席だから、
ドカさんの下品で、下半身の話が、場を和ませた。
これでも、外資系の某金融関係の会社のバイスプレジデントだ。
サトウさん「お前、バイスプレジデントだろう」
ドカさん「バイスス、プレンジト、あっ、副社長ね、そうとも言う」
みんなから「ドカ、会議とかは英語なんだろう?」
ドカさん「そうそう、数字とかそういうのを押さえるだけ」
みんな「外人の部下とかの会話はどうしてるの?」
ドカさん「俺、会社では、筆談だから、筆談以外は受け付けないから」
みんなであっけに取られる。ドカさんの話は、本当かうそかわからない。
本当だと思っていると、うそだったり、うそだと思っていると本当だったりする。
サトウさんもあきれている。禿頭とかを思い切りたたいている。

米治郎は、先輩ばかりで、初対面に近い人もいたので、おとなしくしていた。
柔道部さん「高田君は、おとなしいね」
サトウさん「こいつね、こういう席では、猫かぶっているんだよ、
酔ってくると、俺のこと蹴ったりするんだから」
米治郎「そんなことありませんよ、先輩なんだから」

蕎麦屋を後にして、二次会へ移った。根津は、誰も知らない。
アルコールも置いてあるようなので、喫茶店みたいなところへ入った。
そこでも、ドカさんの下品下半身話は続く。
時々「おならしていい」とか言って「プー」とかする。
そんなドカさんが急に「ちょっと、まじめな話していい?」
「サトウ、お前、大阪行ったら、まず、有馬温泉に行け」
一同、また、下半身関係の話だろうと思う。
「ちょうど、今の時期だ、夕方暗くなると、ホタルがすごいんだ、
俺は、あれを見て人生観が変わったから、それもよくいる
平家ボタルじゃなく、光っているお尻が大きい源氏ボタルだから、
あのお尻はそそられるよ」って、またそんな話になりそうだったが、
「元気で行ってこいよ」と、いきなり泣き出した。
もう始末に負えない。それでお開きになった。

米治郎は、関西に良く行くので、また、サトウさんと会えるだろう。
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by l-cedar | 2007-06-08 19:19 | 日々

富士スピードウェイ-2

また、富士スピードウェイの話である。
第1コーナーの裏側の方から
「キッキッキッキッキィー」という音が絶え間なく
聞こえてくる。ジムカーナ場か何かあるのかと思い、
アキラと車で行ってみた。
そこは、ドリフトのサーキットだった。
4台の車が、ドリフトをしながら走り回っている。
皆、結構うまい。
この”ドリフト”という競技、ここ何年かで流行しだしていて、
他の自動車の競技がサーキットの一周や、
ある区間のタイムを競うのとは異なり、
カーブを曲がるときに、ドリフトをかけて、
そのドリフトの決まり具合の華麗さを競うものだ。
言うなれば、車の”フィギアスケート”のようなものだ。
ドリフトキングことカーレーサー、土屋圭一氏が提唱し、
今では、日本以外にも広まり、アメリカなどでも
流行っているらしい。
このコースも土屋氏の監修で作られていることを
帰ってきてから知った。
見ていて、ものすごく派手だし、結構飽きない。
ドリフトって、完全にアクセルワークの良し悪しで
決まる。アクセルを踏み込みすぎれば、
オーバースピードになってしまい、スピンしてしまうし、
逆に、踏み方が足りなければ、車も振れないから
ドリフトしない。
普段の運転でも、このアクセルワークって、
ものすごく大事で、特にATが多い日本、
アクセルを踏み込みすぎて、すぐブレーキを
踏む奴が多いが、それによってその後ろもブレーキを踏み、
それが、積もり積もって、重なり、渋滞する。

ちょっと、話はそれたが、”ドリフト”を競技として見たのは
初めてだったので面白かった。
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by l-cedar | 2007-06-03 11:11 | 日々

富士スピードウェイ

富士スバルラインから忍野八海、山中湖を経て、
”富士スピードウェイ”へ向かう。
途中の山中湖で、スポニチの山中湖マラソンに出会う。
米治郎が前にいた会社の人が良く出ていた。
完走者は全員、翌日のスポニチに名前が載る。
このマラソンのおかげで、別荘地のような山道へ
迂回しなければならず、少し余計に時間が掛かった。
この時点で、米治郎の心は、あまり”富士スピードウェイ”に
向いていなかった。しかし、アキラは、もう行く気満々だ。

富士霊園の前を過ぎ、”富士スピードウェイ”のゲートの前に着いた。
米治郎は、30年ぶりくらいである。
最初にここへ来たのは、35年前、中学生3年か、高校1年の時だった。
もちろん、車では来られないので、電車とバスを乗り継いできた。

アキラは、初めてだ。昔の入り口の方は、西ゲートと呼ばれ
(昔もそうだったかもしれないが)、今日は閉鎖中で、
東ゲートへ回れと書いてあるので、東ゲートへ行った。
ここで、ちょっとアキラと葛藤があった。
米治郎は、あまり中へ入る気はなかったので、
入り口で帰る気でいたが、アキラは入る気だった。
結局、一人千円を払って、入った。

入るなり、なんだこれ。
片側2車線、計4車線の道路が続いている。
上っていくと、そのまま第1コーナーが見えた。
昔は、すべて徒歩だった。一般車は入っていけなかった。
しかも、舗装されていなかった。だから、雨の日や
その翌日は、ぐちゃぐちゃだった。

第1コーナーからグランドスタンド、なんだこれ。
きれいすぎる。
”グランツーリスモ4”で、コースはわかっていたが、
その裏側まではわからなかった。
あらためて、”トヨタ”の”力”に畏れ入った。
トイレもきれいだ。
やはり、”トヨタ”的にここで”F1”やらないと、ねぇ。
そして、すべてのコーナーへ舗装された
きれいな道路で行ける。

”フレッシュマンレース(昔の言い方:今は
”富士ナントカレース”というらしい)”も
それなりに面白かった。
1,000円で楽しめた。

来てよかった。
ありがとう、アキラ。
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by l-cedar | 2007-06-01 08:17 | 日々