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高田米治郎が”日々”の出来事や読んだ本について感想文を書きます。


by l-cedar
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流転の海 ほか

「流転の海 宮本 輝 著 新潮文庫」
「地の星 流転の海 第二部 宮本 輝 著 新潮文庫」 
「血脈の火 流転の海 第三部 宮本 輝 著 新潮文庫」
「天の夜曲 流転の海 第四部 宮本 輝 著 新潮文庫」
「花の回廊 流転の海 第五部 宮本 輝 著 新潮文庫」
を読んだ。

米治郎の推薦度 ☆☆☆☆

文句なしの”☆☆☆☆”、大作である。

米治郎が、この大作を読み始めたのは、
池袋西武の本屋、文庫本の新刊コーナーで、
第五部の”花の回廊”を手にしたのがきっかけだった。
裏表紙のあらすじに、「昭和32年、松坂熊吾は~云々」とあった。
昭和32年、米治郎の生まれた年である。
しかも、これが第五部だという。
すぐに、新潮文庫のコーナーで、宮本輝さんの名を本棚に探した。
宮本輝さんは、今まで読もうと思っていたが、
つい後回しになっていた作家だった。
”流転の海”を見つけた。手に取って、少し読んでみた。
読みやすそうである。購入して、読み始めた。
すぐに嵌った。どんどん読み続けた。

戦前、四国の南宇和から大阪に出てきて、
中古自動車部品で財を成した松阪熊吾(まつざかくまご)の戦後、
50歳からの話である。終戦直後、裸一貫で大阪の駅に立ち、
かつて御堂筋にあった松阪ビルの焼け跡を眺めるところから
この壮大な話は始まる。

熊吾は、妻の房江(ふさえ)との間にずっと子供はいなかったが、
50歳にして、男の子が生まれる。戦前戦中は、
皇室以外はつけることができなかった”仁”という字を使い、
伸仁(のぶひと)と名付ける。
「お前が二十歳になるまでは絶対に死なん」と誓いを立てる。

夫婦とは、親子とは、父と子とは、母と子とは、
そして人間とは、を問い掛ける壮大なストーリーである。

第一部で、米治郎が、度肝を抜かれるのは、第一部の最後近く、
生まれて間もない伸仁がはしかと中耳炎と腸炎を同時に患い、
高熱を出し、母乳も受け付けなくなった時に、
庭で飼っている鷄の首をはね、毛をむしり取り、内臓を取り出し、
大鍋に湯を炊き、その中に鷄を入れて、
鷄のスープを作り、伸仁に飲ますところだ。
「やかましい、栄養注射なんかは気休めじゃ。
そんなもん、効きゃせんのじゃ。水は吐いても、
わしの作った鶏のスープは吐きゃせん。
もしそれも吐くようじゃったら、あいつはどっちにしても
死によるわい。そんなやつは、いっそ早よう死んだらええんじゃ」
と言って、スープを飲まし、伸仁は一命を取り留める。

第二部 ”地の星”では、舞台は、大阪から熊吾の故郷、
南宇和に移る。妻の房江と溺愛する伸仁が身体が弱いので、
自分の故郷の空気の良いところで生活しようということで、
家族3人で移り住む。
第二部は、熊吾の幼い頃の遊び相手、今は、広島でやくざになった
上大道(わうどう)の伊佐男が、子供の頃、熊吾と相撲をして、
投げ飛ばされ、足がビッコになり、それを逆恨みして、
熊吾をつけ狙う、それは、妻子にまで及ぶ。
面白いのは、熊吾が、4歳になった伸仁と姪の千佐子を連れて、
蝉取りに行き、畑で、伸仁が野壺にはまり、畑の持ち主に
文句を言いにいく。
「いま、わしの息子がはまって、危うく死ぬとこじゃった」
持ち主の家の曾祖母が出てきて、
「ここいらの子で、うちの野壺にはまる子はめったにおりませんでぁし。
みんな、どこにどんな野壺があるか知っちょりますけん」
「あの野壺に子供がはまったのは、わしが次女を生んだ年じゃけん、
明治三十七年やなぁし。それからあとは、誰も落ちちょらん」
「明治三十七年以後、あの野壺に落ちた子はひとりもおらんちゅうか」
中略
「その子はどうなった。明治三十七年に、お前んとこの野壺に
はまった子供はどうなったんじゃ」
「生きちょる、生きちょる。なんちゃ死んどらん。松坂熊吾っちゅう子供や」
これは笑えた。電車の中で読んでいて、ふきだしてしまった。
伊佐男が、やくざから追われ、自殺して、事は終わる。

第三部 ”血脈の火”では、再び、三人家族は大阪に戻る。
昭和27年、あと一ヶ月ほどで、伸仁は小学生になる。
熊吾は、雀荘や中華料理店などをはじめ、次々に事業を興していく。
伸仁は、土佐堀川沿いの家で、すくすくと育ち、父母より、
大阪の土地に馴染んでいく。近所のことは、土佐堀川を行き来する
船の乗員をはじめ、やくざにいたるまで、
すべて把握しているところが面白い。
しかし、洞爺丸台風で、地下倉庫が浸水して、
熊吾は、大損害を受ける。さらに追い討ちをかけるように、
中華料理店の最大顧客である電電公社の労使闘争に巻き込まれ、
繁盛している中華料理店も閉めることになる。

第四部 ”天の夜曲”、昭和31年、熊吾たち3人家族の舞台は、
大阪から富山に移る。第三部で、熊吾が助けた富山の
自動車部品販売業、高瀬の熱心な誘いに応じ、富山で、
一山上げようと家族で移り住む。
しかし、煮え切らない高瀬の態度に、富山をあきらめ、
妻子を富山に残し、熊吾は大阪へ戻る。
そして、次の事業の足係りを始める。
富山の地で、伸仁は、相変わらず、地域に溶け込むが、
妻の房江は、更年期障害も重なり、富山の地が耐えられなくなる。
熊吾は、大阪に戻り、大阪にいたとき、息子伸仁を連れて、
大阪で遊び歩いていた時に知り合った
ストリッパー、西条あけみに再会する。
そして、熊吾に生気が蘇る。
大阪にいたとき、京都祇園、京都競馬場、
はたまた、大阪の花街、果てはストリップまで、
小学生の息子、伸仁を連れて遊びまわるのが面白い。
伸仁は、さらに、ませた子供になっていく。

第五部 ”花の回廊”、再び、3人家族の舞台は大阪。
再起を図る熊吾、房江も働きに出て、
10歳になった伸仁は、熊吾の妹の家にあずけられる。
そこは、尼崎の蘭月ビルという安アパート。
朝鮮の人たちがたくさん住むそのアパートで、
伸仁は、そこへ溶け込んでいく。
伸仁の生まれたばかりの頃、死線を彷徨ったことが、
嘘のようなその環境、環境に順応していくさま。

第一部から第五部までで、10年しか経っていない。
しかも、物語に始まりは、50歳からだ。
第四部のあとがきの後の俳優で無頼の読書家で
有名な児玉清さんと宮本輝さんの対談、
そこで、宮本輝さんは、伸仁が21歳のときに
熊吾が亡くなることを明かしている。
と、いう事は、第五部が終わって、熊吾が亡くなるまで、
まだ、11年あるわけである。

米治郎、長男のアキラが生まれたのが、24歳のときだ。
まだまだ、人生経験はなかった。
松坂熊吾、50歳で初めて親になる。
50歳といえば、人生経験は豊富、さらに松坂熊吾である。
戦前に大成功して、財を築き、戦後も無一文になりながら、
世間に戦いを挑んでいく。
それを、事あるごとに、伸仁に教えて、語っていく。
すごく彼が羨ましかった。

この感想文の冒頭で、
”夫婦とは、親子とは、父と子とは、母と子とは、
そして人間とは、を問い掛ける壮大なストーリーである。”
と、述べた。
さらに言うと、全編を通して、”人間とは、二つに分けられる”と、
言っている。意地悪なことを言う人がいる。
しかし、善意を持った意地悪か、悪意を持った意地悪か、
判断することは難しいが、それが判断できれば、
どういう人か判断できる人になれる。
人間は、”善意の人”、”悪意の人”、この二つに分けられる。

さあ、あなたは、”善意の人”ですか?
それとも、”悪意の人”ですか?

どこまで続くのか、全くわからない。
だが、最後まで、この話に付き合おうと思う。
その覚悟ができた。
第六部、楽しみである。
by l-cedar | 2010-02-14 22:40 | 感想文